スノーボードメーカーの代表の方がご自身の趣味である釣りについて発言されていた
僕も実は釣りをたしなみ、自分の趣味の中で一番古くから楽しんできた遊びである
おそらく世の中にグラスロッドが存在せず、メタルロッドを触った記憶がある
原体験は多摩川で、たしか貸し手漕ぎボートがあった池のような場所で遊んだ
のが初めての釣りという遊びだったはずだ
その時代は日本にエコロジーとか環境を守ろうなどという感覚は皆無で自然は
無築造に汚れやゴミを飲み込み、いつでも浄化してくれると思い込んでいた
ガソリンは安く、大排気量と馬力競争こそあれ、燃費などというものは考えるに
値し無い価値観だった、思えばいい時代だったのかもしれ無い
人はその場にならなければ、気がつか無いし行動し無いものだ、一部の人間が
そのうちまずいことになるなどと言ってみたところで、大多数はその場で気がつく
僕の釣り歴で、鉛をどれだけ水中に捨てたか?といわれれば、とんでもない量だと
認めざるえない、釣り糸しかりナイロンテグスが開発され劣化しない強靭な糸は
釣り人を驚喜させたが、一方で鳥や他の生き物たちにとって死に至るダメージを
与えてしまう道具であることなど、今持って感覚的に捉えている人はどれだけ
いるのだろうか?ルアー釣りに傾倒した数十年間に水中に残したプラスチックは
考えたくも無いぐらいの量だろう、しかし今でも釣りという遊びを続けている
環境に目を向け、自然が無蓄蔵でないこともナイロンがプラスチックが100年でも
水中で生き続けることも理解できるようになったはずなのに、この遊びを続けている
自分もいるのだ、毛鉤を使い、自然の材料でなるべく作り上げた遊びの世界だが
相変わらず、釣り糸はさらに強く鉛はなくならずに存在して遊びは成立している
人の欲はいつまでも限りがない遊びたければ、いくらでも電気を使いガソリンを
燃やし、食べたいものを食べそのために対価を支払い、遊ぶのが人間だ
いくら自然回帰サーファーでも木のサーフボードと裸と松ヤニもしくは蜜蝋だけで
サーフィンを楽しむのは無理があるだろう、南の無人島で生活していれば可能かも
しれないが、今の生活を捨てることは出来ないのだ、それが本音だと思う
人の欲は際限がない、竹の延べ竿に馬のしっぽか絹糸を結んで、針を曲げて作り
ミミズをぶら下げて、釣りをしたことはないが一度はやってみたいとも思う
それは単なる懐古趣味での話だから、これで自分は自然派などというつもりは
甚だないしそれを続けていくつもりもない、くどい話になってしまった
釣り場で携帯を使い情報交換をしながら釣ることや、サーフィンの波情報を見ること
雪の情報をPCで予想することを今更やめることができないことと一緒だと思う
自分が今できる身の丈にあった罪滅ぼしを傷つけてきた自然にたいして返せるか?
それを考えながら遊ぶことで少しは気持ちが軽くなるのかもしれない
自然は無蓄蔵の浄化はできないそれをつねに頭の片隅に置いておくことで
少しはましな世の中になるのかもしれないと思ったすごい満月の夜でした Peace